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中国放送、日本放送協会らと6者共同でユネスコ「世界の記憶」に国内申請

編集部 2023/11/29 13:30

日本政府が11月28日、世界史上の重要な記録物を国際登録する国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に、原爆投下後の広島で1945年内に撮られた写真1532点と動画2点からなる「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」を推薦することを決めた。

株式会社中国放送(RCC)は、広島市、中国新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、日本放送協会と6者共同で「世界の記憶」の国内審査とユネスコへの推薦を所管している文部科学省に申請を行った。

【学術調査に伴う記録映像(110分)】

そのうちの動画1点は、1945年9月下旬から10月にかけ、「原子爆弾災害調査研究特別委員会」に補助機関として同行して撮影した「学術調査に伴う記録動画フィルム」。広島での撮影は約1か月間に及び、爆心地付近を含む広島市内の被害状況を収めている。広島赤十字病院は主な撮影場所の一つであり、外傷ややけどの治療を受ける女性や、放射線の急性障害で髪が抜け落ちた子どもら(写真)を収めている。

焼野原・原爆ドーム・鳥居・調査員
脱毛の姉弟

この資料は社団法人日本映画社が撮影し、日本映画社のスタッフが日本に残したフィルム。もともと日本映画社が学術調査に基づく科学的な「原爆被災記録映画」製作を目指して撮影された。1946年4月に英語版の映画にまとめられたが、編集された映画のフィルムやネガは米国へ送られた。一方、日本映画社のスタッフは本資料である未編集フィルムを東京都内の現像所に秘かに保管。その後、1995年にTBSと中国放送がこのフィルムが存在していることを公にし、特集番組で報じた。

同社は、日本映画社が改組しフィルムの権利を引き継いだ日本映画新社、そして2009年に日本映画新社の権利を継承した日映映像と協力関係を築き、フィルムの管理にも携わった。またプロジェクトチームを組んでフィルムに映る人や撮影場所の特定調査を行い、資料としての価値は一層高まった。ハイビジョン化、4K化による映像の高精細化にも取り組み、様々な番組制作を通してこの映像を発信している。フィルムは、所有者だった日映映像から一旦寄贈を受けた同社が、2013年、長期保存のために国立映画アーカイブに寄贈した。

米国に送られた編集済みの映画の広島分の映像は約80分でだが、本資料は約110分に及び、編集済みの映画に含まれていない光景を見ることができる。この資料の申請にあたっては、動画資料の保存活用に関わってきた日映映像と現在の所有者の国立映画アーカイブからも賛同、協力をもらっているという。

<代表取締役社長 宮迫良己コメント>

焦土の風景と苦しむ被爆者は日本人の手によって撮影されました。今回推薦が決まった( 学術調査に伴う記録動画フィルム』は、被爆者の高齢化が進み、伝承がますます難しくなる中で、当時を知ることができる貴重な資料です。この度、日本政府の推薦決定で、 世界の記憶』に一段近づくことができました。今後さらに多くの方に、今回推薦を受けた写真や映像を知ってもらうことで、核兵器のない世界の実現にむけた後押しになることを願い、引き続き( 世界の記憶』への登録を目指しながら、この資料の有効活用に取り組んでいきます。

【「学術調査に伴う記録動画フィルム」へのアクセス】
◎広島市の外郭団体の広島平和文化センターの委託で日本映画新社が、当資料を元に編集、製作した「焦土のカルテ」を、広島平和記念資料館で視聴することができる。

◎中国放送は「ヒロシマの記憶」などの番組を製作していて、HPやDVDとしてアクセスできる。
・「ヒロシマの記憶」紹介ページ https://rcc.jp/peace/kioku/
・「ヒロシマの記憶」DVD紹介ページ https://shop.rcc.jp/products/detail/4

【写真1532点と動画2点からなる「広島原爆記録写真と映像」概要】

6者で共同申請した「広島原爆記録写真と映像」は、原爆が投下された1945年8月6日から1945年12月末までの間に日本の27人と1機関が撮影した写真1532点と、1団体が撮影した動画2点で構成されている。廃虚と化した街、大やけどを負った被爆者、放射線の人体影響をはじめ核兵器使用の多岐に渡る影響が記録され、広島平和記念資料館の展示に数多く活用されている。

申請者:広島市、株式会社中国新聞社(事務局)、株式会社朝日新聞社、株式会社毎日新聞社、株式会社中国放送(RCC)、日本放送協会(NHK)
資料の名称:広島原爆の視覚的資料-1945年の写真と映像
申請点数:写真1532点(27人と1機関が撮影)と動画2点(1団体が撮影)
資料の形式:写真のネガフィルム、プリント、ガラス乾板、動画のポジフィルム
撮影期間:1945年8月6日から1945年12月末
登録の可否は、被爆から80年を迎える2025年春ごろに決まる見通し。

【「世界の記憶」について】

「世界の記憶」はユネスコが1992年、世界的に重要な記録物への認識を高め、保存やアクセスを促進することを目的として始めた事業の総称。その事業の代表として、人類史において特に重要な記録物を国際的に登録する制度として1995年より実施されている。登録審査は2年に1回で、1か国からの申請は、国内審査により推薦案件として選ばれた「2件以内」とされている。2025年春ごろ、最終的な登録可否が発表される予定。
※詳しくは文部科学省のウェブサイト「世界の記憶」をご参照。
https://www.mext.go.jp/unesco/006/1354664.htm